エピファニー(公現祭)とガレットデロワ
私はカトリックではありませんし、とくに何か信心深いというわけでもありません。
1月6日がキリスト教の祭日にあたることも数年前までは全く知りませんでした。
そもそもは妻がこういうヨーロッパ文化に関心が高く、その影響で数年前から我が家では1月6日にはガレットデロワを用意して、このエピファニーを祝う(というか楽しむ)というのが習慣になっています。
まず、エピファニー(公現祭)とは何ですか?というと……
公現祭(こうげんさい、ギリシア語: ἐπιφάνεια, ラテン語: Epiphania domini, 英語: Epiphany)は、西方教会(カトリック教会・聖公会・プロテスタント諸派)において、異邦への救い主(イエス・キリスト)の顕現を記念する祝日。カトリック教会で「主の公現」とも表記される。聖公会ではこの祝日のことを顕現日(けんげんび)と呼び、対応する期節を顕現節(けんげんせつ)と呼ぶ。「主顕節」などとも呼ばれる。
(中略)
この祭日のルーツは小アジア(現代のトルコ)などの地域にあると考えられている。もともとはエピファネイア(現れ)という名称によってイエスの誕生から東方の三博士の来訪、イエスの子供時代のすべての出来事、ヨルダン川で洗礼者ヨハネに洗礼を受けるまでの、降誕祭を含めたすべての祝いを含んでいた。
つまり東方の三博士が来訪し、キリストがこの世に顕現した日=誕生したことを祝う日で、つまりクリスマスはもともとこの1月6日に祝われていたようなんですね。
それが後になって12月25日にクリスマスをお祝いすることが「主流」になると、12月25日と1月6日とでそれぞれ誕生を祝うのはいかがなものか……ということで、12月25日から1月6日の間を「降誕節」としてお祝いするようになったということです。(この辺、宗派や地域によって諸説、経緯があるようなので"あくまでざっくり言うと…という感じです)
そういう経緯はともかくとして、いまでは東京の有名な洋菓子店の多くで、1月6日にあわせて期間限定で「ガレットデロワ」が販売され、徐々に日本でも「エピファニー」の認知が広まっているように思います。
ヨーロッパやアメリカ州のカトリック教会の信仰が盛んな地域では豆や小さな人形、貴金属などを入れて焼いたケーキや菓子パンを切り分け、この豆などが当たった人をその日だけ王とする習慣があり、例えばフランスのガレット・デ・ロワなどがこれにあたる。
この「エピファニー」の「ガレットデロワ」には「フェーヴ」と呼ばれる小さな人形が埋め込まれていて、切り分けた際にその「フェーヴ」が当たると"王様"として振る舞える。というゲーム的な習慣があり、これもまた「エピファニー」の楽しみとしてヨーロッパでは定着しているようです。
またこの「フェーヴ」は様々なお店で趣向を凝らしたものが毎年用意されるので、この「フェーヴ」をコレクションしていくのもまた楽しみの一つとなっています。(我が家でも毎年の「フェーヴ」は大切に取ってあります。)
冒頭で述べたとおり、私も妻もキリスト教徒ではないですし、信心深いわけでもないです。
「エピファニー」を祝うというよりも、この期間限定の「ガレットデロワ」と、趣向を凝らした「フェーヴ」を楽しみに毎年この日を迎えている次第です。
普通にお菓子として「ガレットデロワ」は美味しいですし、毎年各店でどんな「フェーヴ」が用意されるのか、イベントとして楽しいものだと思います。
今年のエピファニーはもう終わってしまいましたが、もうしばらく店頭には「ガレットデロワ」が並んでいるお店が多かと思います。
どこかでまだ残っている「ガレットデロワ」を見掛けたら、ぜひ購入してみてはいかがでしょうか?
千歳烏山の「行ってみたいお店・レストラン」
「行ってみたいお店・レストラン」by みんなのごはん
昨年8月に千歳烏山に引っ越して以来、もうすぐ5ヶ月になろうとしています。
世田谷の外れだし、一見すると地味な町にも思える千歳烏山ですが、これが意外に(というとチトカラ民に怒られそうですが)結構いい感じのお店が多いんですね。
普段は自転車もしくは小田急で通勤していることもあって、実はあまり千歳烏山の駅周辺に行くことがないのでまだまだ未開拓ではありますが、「気になるお店」「行ってみたいお店」「すでに行ったことがあってお気に入りのお店」を挙げてみたいと思います。
スイーツ
まずは何と言ってもスイーツですね。これは本当に充実してます。
一番オススメは「ユウ・ササゲ」
2013年にオープンしたお店ですが、メディアの露出も多く、烏山でも一番の人気店かもしれません。
「チューボーですよ!」ではシュークリームが取り上げられてましたが、個人的には焼き菓子やタルトがオススメです。
あと、気になっていてまだ行けていないのが「キャトル・セゾン」
ここは都内でも有数のモンブランで有名なお店です。
都内屈指のモンブラン「キャトルセゾン」 | 千歳烏山 – 紅茶通信
千歳烏山でモンブランが人気のパティスリー!キャトルセゾン | フードアナリスト愛の東京グルメ食べ歩きブログ
注文してから作られるこちらのモンブランはメレンゲの食感が損なわれないうちに…ということで賞味期限1時間と言われているのだとか。
外観はいたって普通(というかむしろ地味)なお店ですが、こだわりのモンブランは本当に気になります。
allabout.co.jp
blogs.yahoo.co.jp
r.gnavi.co.jp
中華・台湾料理
「天天厨房」はよくお店の前を通るのですが、いつも混んでいて、且つお店もほぼカウンターのみという小さなお店で、まだあいにく入れたことがないお店です。こちらは経堂にある「パクチーハウス」の料理長が独立して開いたお店だそうです。たしかにメニューをみると"パクチー多め"な雰囲気で、パクチー好きな方にもオススメかもしれません。
r.gnavi.co.jp
寿司
千歳烏山、、とくに我が家のある南側は寿司屋があちこちに点在しています。
中でも我が家のすぐ近所にある「栄寿司」はいつも混み合っている繁盛店。近所にあるだけに気になるお店です。
r.gnavi.co.jp
飲み屋・バル
まだあまり通えてはいないですが、「オーパ」は常連を目指したいお店。
日本酒、焼酎の揃えが(けっして多くはないですが)なかなか面白いのと、そのお酒にあう料理とおでん。
カウンターメインのお店の雰囲気もよく、小綺麗な店内も好きです。
r.gnavi.co.jp
r.gnavi.co.jp
パン
パン屋さんも充実しているのは嬉しいですね。まだこちらもあまり開拓できていませんが、徐々に攻略していきたいと思います。
r.gnavi.co.jplove-tabearuki.com
ameblo.jp
いろいろお店を挙げてみましたが、「まだまだぜんぜん行けてない!!!」
という感じなので、今年はぜひチトカラグルメに精進したいと思います。
2015年の観劇まとめ
2015年に足を運んだ舞台は以下の通り
- 2月:NODA MAP「エッグ」
- 3月:フィレンツェの麦わら帽子
- 9月:アンドレア・シェニエ
- 11月:ブロッケンの妖怪
- 12月:仮面舞踏会
- 12月:ツインズ
- 番外:11月:NTライブビューイング「ハムレット」
2014年は9本だったので、今年は全然及ばず。
合計本数もそうですが、6本中3本が妻の出演舞台やその関連の公演なので、今年はだいぶ劇場から遠ざかってしまいました……
今年前半は家探し〜家の購入に忙しく、週末の予定がなかなか立たなかったので仕方ない状況ではありました。
結果的にオペラを観る機会が多かったのですが、「フィレンツェの麦わら帽子」は国立音楽大学OBOGによるキャストが素晴らしかったですし、「仮面舞踏会」も粟國淳さんの演出が実にオペラらしいダイナミックなもので非常に見応えのある舞台でした。
そんな中で「番外」に入れましたがロンドンのナショナルシアターのライブビューイング「ハムレット」は本当に良かった。
絶対にロンドンでライブで観たい!という気持ちになりました。
もう、装置も演出もキャストの演技も、全てが次元が違う感じで、「こんな演劇の世界があるのか!!!」と、まさに衝撃を受けました。
ナショナルシアターの公演を映像でちゃんと観たのは初めてだったわけですが、とりあえず来年予定されているナショナルシアターのライブビューイングは隈なく観たいくらいの気持ちです。
www.vogue.co.jp
国内の演劇ですと、今年はNODA MAP「エッグ」から始まり「ブロッケンの妖怪」「ツインズ」と3本だけでしたが、野田秀樹、倉持裕、長塚圭史、とをしっかり押さえられたのは良かったです。いずれも見応えのある舞台だったと思います。
ちなみに来年1本目と思ってたNODA MAP「逆鱗」はまだチケット入手できず……(なんとか入手すべく奔走しています。
来年こそは月1観劇を全うしたいと思う、2015年の年末でした。
http://operaprojectkunitachi.com/?p=536
http://www.tohostage.com/brocken/
http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/15_kamen.html
http://www.ntlive.jp/index.html
京都と東京……これまでとこれから
※この記事ははてなスタッフアドベントカレンダーの12月19日の記事です。
「はてなブログ」や「はてなブログMedia」を担当しています、プロデューサーの id:matsu_nao です。
株式会社はてなには2013年1月に入社して、間もなく3年を迎えます。
東京開発センターについて
3年前を振り返りますと、はてなが東京オフィスを表参道に移転し、東京開発センターの立ち上げを発表した時期にあたります。
この「東京開発センター」の発表後、エンジニア向けのイベントが実施されていた頃に私は株式会社はてなの入社選考を受けていたことになります。
当時を振り返ると、はてなは「京都」の企業であり、東京にオフィスがあることも薄っすらとしか認識しておりませんでした。
転職の相談をしていたエージェントから「はてな」を提案された際は「そういう選択肢もあったか!」とまさに目からウロコという感じでした。(自分では思い至らなかったであろう選択肢を提案してくださった担当のAさんには本当に感謝しています!)
純粋にはてなという企業とはてなのサービスに対して興味があったことはもちろんですが、この「東京開発センター」の立ち上げに関われることも一つ私を後押しした要因でした。
京都と東京の距離〜コミュニケーションの意識
2012年9月から徐々に東京でのエンジニア採用が始まったものの、私が入社した2013年1月時点では、まだ東京にエンジニアはおらず、開発メンバーではデザイナーが数名、編集者が数名とディレクターが私一人という状況で、入社後に私が所属したチームも私以外のメンバーはデザイナー、エンジニア共に皆京都という状況でした。
入社後しばらくは、とにかく京都に足繁く通い(月2〜3回は京都に出張していたかと思います*1)京都のメンバーとの関係作りに励みました。
元々京都は好きな街でしたし、精神的な負担は感じなかったものの、さすがに往復6時間の移動は体力的に辛いものがありました。
幸いだったのは妻が出張に寛容で、毎週のように京都に行く私を快く見守ってくれたこと。京都から帰った私を品川駅まで車で迎えに来てくれることもしばしばありました。*2
出張と併せて日常での遠隔コミュニケーションも入社後いろいろ試行錯誤しました。
これは私だけではなく、多くのメンバーが直面している課題かと思います。そうした様子は既に他のメンバーが記事にまとめていますのでそちらを参照いただければと思います。
「はてなの特徴的な環境」については id:Swatz がまとめてくれています。
http://www.swatz.net/entry/2015/12/15/130021
「はてなグループ」の活用についてはid:index_htmlがまとめてくれています。
http://sugawa.hatenablog.com/entry/2015/12/09/080000
はてなグループやSlack、GoogleApps、GitHubなどのツールを駆使しながら、遠隔でもより良く協働する方法を皆が模索しています。
遠隔での不便はもちろんありますが、実際に働く中で「遠隔だからこそ丁寧にコミュニケーションしよう」という意識を皆が持っているのは、はてなの強みではないかとも感じています。
東京オフィスの現在
さて、3年を経た今の東京オフィスは……といいますと……
今年3月にはオフィス増床の発表もさせていただきましたが、東京の開発メンバーも随分と増えました。
前述の通り、私が入社した2013年1月時点は、デザイナー、編集、ディレクター合わせても5名という状況でしたが、現在はエンジニア、デザイナー、編集、ディレクターといった開発メンバーで合計26名という規模になりました。特に3年前には不在だったエンジニアが今では10名まで増え「東京開発センター」といって差し支えない体制が出来上がりつつあります。*3
はてなの開発の中心は京都ではありますが、東京にも優秀なメンバーが増えつつあり、この2拠点を効果的に連携させていくことが次の課題かもしれません。
はてなブログを支える多職種の技術
冒頭でも紹介しましたが、現在、私は「はてなブログ」と「はてなブログMedia」を担当しています。
はてなブログのスタッフは京都、東京それぞれにおり、京都はエンジニアが多く、東京は編集者が多い、というようなバランスの体制になっています。
先日、はてなブログはサービス開始から4周年を迎えました。
多くのユーザー様にご利用いただき、膨大な記事がはてなブログで公開されています。
はてなブログは様々な技術によって支えられ、快適にお使いいただけるように日々改善や機能追加を進めています。(この姿勢は今後も変わりません)
一方で、この膨大な記事、様々なブログをいかに多くの人々に伝えていくか、いかに”届くべき人達”に記事を届けられるか、編集者の力とエンジニア、デザイナーの力を結集した取り組みを進めています。
つい先日には「はてなブログ大賞」を発表させていただきました。様々なブロガーさん、企業メディアの編集部に今年のベスト記事を選んでいただきました。
この他にも「週刊はてなブログ」では様々な切り口で、多彩なブログに光を当てていきたいと思っています。(これらはまさに編集者らしい取り組みかと思っています。)
「はてなブログMedia」をご利用いただいている企業メディア*4と、ユーザー様をつなぐような取り組みも行っています。
開発と編集、そして営業やマーケティングのメンバーが連動した取り組みも徐々に形になってきています。
「はてな=技術の会社」というイメージを私も入社前から持っていましたし、今もそのイメージを大切な価値として守っていきたいと思っています。
その「技術」の一つとして「編集者の技術」も挙げられるかと思います。
- エンジニアの技術
- デザイナーの技術
- 編集者の技術
これらを結集した「技術の集合」を磨いてユーザー様に還元していく。
そんなチャレンジを京都、東京という2拠点を有効に連携させながら実現していきたいと思っています。
はてなスタッフアドベントカレンダーの明日の担当はid:kewpiedesignさんです。
「はてなブログ」「はてなブログMedia」では様々な技術をもった仲間を募集しています!
シネマライズの記憶:スペイン坂の上で観た映画たちを振り返って
「シネマライズ閉館」というニュースは、個人的にあまりにも衝撃的でした。
ミニシアターブームを牽引し、渋谷カルチャーの一翼を担ってきた劇場がついに終焉を迎える。
特に20代前半の多くの時間を映画に費やし、渋谷をいわばホームとしてきた自分には本当にショックなニュースでした。
この機会にシネマライズの思い出を書き残そうと思い、シネマライズ オフィシャルサイト を頼りに、記憶を遡ってシネマライズで観た作品を全て書き出してみました。
書き出してみて、気づいたこと、思い出した記憶を幾つか挙げてみます。
- 「トレインスポッティング」の鮮烈な記憶
- 中越地震に遭遇した「恋の門」
- ソフィア・コッポラやコーエン兄弟やミシェル・ゴンドリーなどなど
- 2009年から2013年にかけての空白の5年間
「トレインスポッティング」の鮮烈な記憶
1997年なので私が21歳。大学2年のときですね。
とにかく「トレインスポッティング」を見終えて、劇場の外に出たときの高揚感を今でも鮮明に覚えています。(別に作中のようにドラッグが……ってわけではなく)
渋谷の街を歩きながら、ずっと「Born Slippy」がループしていました。
ちなみにダニー・ボイル作品は「シャロウ・グレイブ」と「トレインスポッティング」の最初の2本は完全に好きな作品で、その後の作品は個人的にはあまり刺さりませんでした。(それでも「普通じゃない」「ザ・ビーチ」「スラムドッグ$ミリオネア」あたりは一応観てはいます。)
中越地震に遭遇した「恋の門」
映画館で映画を観るのが好きで、足繁く劇場に通っていた20代ですが、その中でも特に記憶に残っているのが2004年の中越地震です。
「恋の門」のたぶん中盤くらいだったかと思います。ちょうどシーン的にも盛り上がっているところで、揺れ始めの瞬間は何か起きたのか分からなかった記憶があります。
わりと作品に没頭していたせいかもしれませんが、地震という感じはしなくて、なんとなく映画の中の世界が揺れているような、そんな錯覚を感じたような気もします。
おそらく東京は震度4くらいの揺れだったかと思いますが、後にも先にも、映画を観てる間にあれほど揺れたことはなかったと思います。作品そのものよりも地震に遭遇した、ということが深く印象に残っています。
ソフィア・コッポラやコーエン兄弟やミシェル・ゴンドリーなどなど
後述のとおり「ヴァージン・スーサイズ」を観たのもやはりシネマライズでした。
当時、東北新社にいた友人が初めて宣伝に携わったのが「ヴァージン・スーサイズ」で、その友人の勧めで出会ったのがソフィア・コッポラでした。
正直「ヴァージン・スーサイズ」に関しては、今でもいまいち理解しきれない作品です。(実は東北新社の友人もこの作品をどう捉えるべきか悩んでいるようでした)
その後「ロスト・イン・トランスレーション」に出会わなければソフィア・コッポラは私にとってただ"F・F・コッポラの娘"という位置付けに収まっていたかもしれません。
「監督」で観る作品を選ぶことの多い私ですが、シネマライズではこのソフィア・コッポラもそうですし、コーエン兄弟、ミシェル・ゴンドリーといった大好きな監督と出会い、その作品と交流した貴重な場でもあったと思います。
2009年から2013年にかけての空白の5年間
これはあらためて振り返って気づいた点ですが、2008年の「僕らのミライへ逆回転」から2014年の「her/世界でひとつの彼女」までの実に5年間、私はシネマライズから遠ざかっていたのですね。
この間に何かあったのかといえば、2009年6月に結婚して、目黒に引っ越しのが大きかったのだと思います。
結婚してからも映画は引き続き観ていました。が、目黒に引っ越してからは専ら品川の「プリンスシネマ」で映画を観るのがほとんどで、渋谷で映画を観ることはほとんど無かったのですね。
品川プリンスシネマがいろいろ便利だったという事情ですが、その話は以前に下記のエントリに書いた通りです。
matsunart.hateblo.jp
あくまで個人的な事情でシネマライズから遠ざかったわけですが、しかし、それもまた世の中の「シネコン移行」の流れと符合していたのかもしれません。
ちょうど昨日は二子玉川の109シネマズで「バクモン。」を観ました。(今年7月から世田谷に引っ越したので、今では二子玉川の109シネマズが「最寄り映画館」となったわけです。)
かつて20代の頃は、シネマライズはじめ、シネクイント、ル・シネマ、ユーロスペース、シネカノンといったミニシアターに入り浸っていた自分でさえも、身近でネット予約などの環境が整ったシネコンにすっかりシフトしてしまいました。(これも時の流れなのでしょうか……)
渋谷は駅周辺を中心にこれから大規模な再開発が行われていきます。高層ビルが立ち並び、街並みも変わっていくのでしょう。
シネマライズの閉館もそうした流れの一つ象徴的な変化と捉えることができるかもしれません。
街が整備され、快適になっていくのとは裏腹に、街の個性が失われていってしまうかもしれない、、そんな危機感はやはり私も持ちます。
学生時代から今日まで、じつに沢山の時間を渋谷で過ごしてきました。
記憶のイメージは色褪せていくのは仕方ないのでしょうが、その記憶の面影を残す街の風景や大切な場所が失われていくのは、寂しいものですね。
シネマライズ最後の日まで、あと1ヶ月余り。。
最後の余韻を楽しみに、また近いうちに必ずスペイン坂を登って、映画を観に行きたいと思います。
以下、私がこれまでにシネマライズで出会った作品
1996
- シクロ Cyclo
- 天使の涙Fallen Angels Fallen Angels
1997
- ファーゴ FARGO
- トレインスポッティング Trainspotting
1999
2000
- オルフェ Orfeu
- ヴァージン・スーサイズ the Virgin Suicides
- ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ BUENA VISTA SOCIAL CLUB
2001
- チアーズ! Bring It On
- 王は踊る Le Roi Danse
- ディスタンス DISTANCE
2002
- ピンポン PING PONG
- 青い春 Blue Spring
- アメリ Le FABULEUX DESTIN D'AMELIE POULAIN
- リリイ・シュシュのすべて All About Lily Chou-Chou
2003
2004
- 恋の門 KOI NO MON
- ロスト・イン・トランスレーション Lost In Translation
2006
- ブロークン・フラワーズ BROKEN FLOWERS
2007
- 恋愛睡眠のすすめ THE SCIENCE OF SLEEP
2008
- 僕らのミライへ逆回転 Be Kind Rewind
2014
- her/世界でひとつの彼女 HER
2015
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山行報告:上高地〜涸沢カール
シルバーウィーク連休+有給休暇を使って上高地〜涸沢に行ってきました。
天候も最高だった上に紅葉もちょうど色づいていて、最高の登山でした。
ちょうど同時期にブロガーのOKPさんが同じルートを歩かれて記事を書かれてますので、詳しいルートの紹介と最高の写真はOKPさんの記事に任せるとして、私は徒然と写真を載せておこうと思います。
朝靄の大正池からスタート。焼岳が綺麗に見えます
とにかく水がひたすら綺麗!!
河童橋は観光地の賑わい
河童橋から見上げると……テンションあがります!
明神池に映る山稜も綺麗ですね
初日の宿は横尾山荘。山荘なのにお風呂もあるし、部屋も信じられないくらい綺麗!とても山小屋とは思えない快適さでした。
横尾山荘を後にして二日目。いよいよ山らしくなってきました。
写真は壮大な屏風岩
本谷橋。この辺までは家族連れも多かったです。沢で遊ぶのも楽しいかもしれません
本谷橋からSガレまでの道中もアプルスらしい景色を楽しめます
涸沢ヒュッテ到着
涸沢ヒュッテのラーメン最高でした!まさか標高2300メートルでこんなラーメンが食べられるとは!
紅葉にはまだ早いかな……とも思ってましたがしっかり色づいていて綺麗でした。一足早く秋を満喫
雄大な涸沢カール
朝焼けの山々とモルゲンロート!最高の天候に感謝!!
余談
この後、下山して上高地のバスターミナルに戻ったわけですが、ターミナルで休憩している間ずっとヤマケイ萩原さん出演のDVDが流れていて、最近のご活躍をあらためて認識したのでした。
萩原編集長のヒマラヤ未踏峰挑戦記 Outlier East 7035m | 山と溪谷社
www.yamakei.co.jp
ブエルタ始まりました
今年は意を決してJ-SPORTSオンデマンドに加入し、ここまでジロ、ツールと全ステージを観戦してきました。
ブログにも書いていこうと思いながら、1文字を書かないままにブエルタ・ア・エスパーニャ開幕……
コンタドール、ニーバリ、フルーム、キンタナの「BIG4」ないし「ファンタスティックフォー」によるグランツール争いも残すところブエルタのみとなりました。
残念ながらブエルタにはコンタドールはエントリしていませんがニーバリ、フルーム、キンタナの「BIG3」を初め、モビスターからはバルベルデ、アスタナからはファビオ・アル、ミケル・ランダがエントリし、それぞれツートップ、スリートップ体制でブエルタに望んでいます。
他にもBMCのT・J・ヴァンガーデレン、サミュエル・サンチェス、カチューシャのホアキン・ロドリゲスらが総合系ではエントリされていますし、個人的にはティンコフのラファエル・マイカの活躍にも期待したいと思っています。
またスプリンターでは、ツールで落車リタイアと苦渋をなめたコフィディスのブアニはリベンジに燃えているでしょうし、ツールで未勝利に終わったジョン・デゲンコルブも相性のいいブエルタでは活躍を期しているかと思います。
こちらも個人的にはティンコフのペーター・サガンに注目しています。
ツールでは「異次元の力」を見せつけながらステージ優勝は叶わなかったサガン。
スプリンターでありながら今年のツールでは総合でも40位代につける総合力、登坂力を発揮した、その実力をブエルタではどのように見せつけてくれるのか、非常に楽しみです。
さよならホテルオークラ本館・「最後の男爵」が残した昭和モダニズムの傑作
ホテルオークラ本館の建て替えを前に今月いっぱいで本館は一時閉館となります。
個人的には2009年に同ホテルの新館で挙式、披露宴を行ったこともあり、格別な思い入れのあるホテルです。
本館には挙式、披露宴の際に宿泊させていただき、式に伴う記念撮影も本館の各所で行いました。(中でも本館ロビーで撮ったスナップは最高の一枚と思っています。)
それだけに今回の建て替えは非常に感慨深く、また名残惜しい気持ちを日々募らせています。
「最後の男爵」が残した傑作
ホテルオークラというと「帝国ホテル」「ホテルニューオータニ」と並び「御三家」と評され日本のホテルにおける最高峰として認知されています。
ホテルオークラ閉館。1万8千坪の芸術はどう生まれ変わるのか | リクナビNEXTジャーナル
公職追放により帝国ホテルを離れた大倉は、日本国憲法の制定により、華族としての待遇も奪われる。しかし、国内屈指の工芸家たちへ日本の美を以って諸外国の貴賓を迎えるホテルの理念を熱心に説き、その協力を得てホテルオークラを開業させた。明治以降の日本に存在したであろう貴族の精神を証明するという野心と「最後の男爵」としての意地により、「帝国ホテルを超えるホテル」をコンセプトに設立されたホテルである。
出典:ホテルオークラ - Wikipedia
ホテルオークラは大倉財閥の二代目である大倉喜七郎によって昭和33年に設立されました。
- 帝国ホテルを超えるホテル
- 日本の工芸、建築の粋を極める
- 最後の貴族としての誇り
まさに大倉喜七郎の意地と野心によって作り出された近代日本の傑出したホテルであり、建築だったのだと思います。
オークラ本館の建物
ホテルオークラ本館の設計、デザインは谷口吉郎や小坂秀雄ら多くの才能が集合し企画されました。
1962年竣工。設計:谷口吉郎(ロビー、オーキッドルームほか)、小坂秀雄(外観)ほか。世界に通用する日本独自のホテルを、という創業者・大倉喜七郎の思いの下、1962年に開業した〈ホテルオークラ東京〉。当時の日本における最高の建築、工芸技術を集約すべく、設計委員会(谷口吉郎、小坂秀雄、岩間旭、清水一、伊藤喜三郎)と意匠委員会(溝口三郎、繁岡鑒一、広井力、縣治朗、岩田清道)が設置されデザインされた。建物の構造としては、どの部屋からも景色が楽しめるよう、ホテルとして当時初となる「三ツ矢式建築」を採用。海外からも「日本モダニズムの傑作」と評価の高い本館ロビーは、設計委員会委員長を務めた谷口吉郎のデザインだ。73年には、谷口を中心とした設計チームにより別館が増築された。
出典:ホテルオークラ東京 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS
和瓦が貼り詰められた海鼠壁仕上げが特徴的な外観も好きですが、やはり谷口吉郎によるロビーのデザインの静謐がホテルオークラが日本を代表するホテルとしての気品を体現していると思います。
麻の葉紋、格子の窓から障子越しに差し込む穏やかな光の陰影。「オークラ・ランタン」と愛称される印象的な切子玉を模した照明。日本的な意匠を凝らした空間の静寂は和洋という概念を超えて結び付き、モダンな調和を空間に与えています。
和洋が完全に調和しているからこそ、一点の濁りもない気品がこのロビー全体に満ちているのだと思います。
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建て替えを惜しむ声、反対運動
今回の建て替えにあたっては特に海外の著名人から建て替えに反対する声が挙りました。
- トーマス・マイヤー(「ボッテガ・ヴェネタ」のクリエイティブ・ディレクター)
- ポール・スミス(ファッションデザイナー)
- マーガレット・ハウエル(ファッションデザイナー)
- スティーブン・ホール(建築家)
いずれも影響力のある著名クリエイターがこの日本モダニズム建築の傑作を惜しみ、それぞれに声を挙げられました。
「傑作的な建築作品」として遺すべき、という観点ももちろんありますが、印象的なのはいずれも「オークラを愛し」「オークラの空間を守りたい」という気持ちを込めたメッセージである点。
優れた建築であると同時に「最高のホテル」として現在のオークラがいかに多くの人々に愛されているかを感じます。
たしかにオークラに行くと、そこかしこに老朽化を感じさせる部分もありますし、現代的なホテル空間と比べると手狭さを感じさせることもあります。
続々と外資系の高級ホテルが東京に進出し、競争が激化する中で「日本のホテルのトップ」としてのプレゼンスを維持するためには建て替えも止む無しという気もしますが、
それでも、やはり今のオークラの良さ、オークラらしさを失ってほしくはないと強く願います。
オークラ側も現在のオークラを踏襲すると表明していますし、なにより今回の設計に谷口吉郎さんの息子さんである谷口吉生さんが携わることは大いに期待できるのではないかと思っています。
谷口吉郎と谷口吉生
勝手ながら個人的にはそのようにこの2人の建築家をみています。
それぞれの時代や背景の違いがありながらも、2人は共通の地平を見ているような、そんな気がしているのです。
「現在のオークラ」への名残惜しさは尽きませんが、しかしそれと同時に谷口吉生が作り出す「新しいオークラ」に今は大きな期待も寄せています。
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- 作者: 槇文彦
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東京国立博物館東洋館
「天才スピヴェット」「ビッグ・アイズ」…GWなので目黒シネマに籠ってみました
目黒シネマで2本立てを見ました。
ジャン=ピエール・ジュネ「天才スピヴェット」とティム・バートン「ビッグ・アイズ」の2本立て。
なかなかのチョイスですね、目黒シネマさん!
spivet.gaga.ne.jp
bigeyes.gaga.ne.jp
「ビッグ・アイズ」についてはティム・バートンらしい雰囲気がなく、意外にごく普通の商業映画という趣き……こういう映画も撮るんですね、ティム・バートン
正直なところ、期待したものとは少し違っていて、物足りなさを感じてしまいました。
一方の「天才スピヴェット」!!
こちらは予想以上に「好み」の作品でした。
個人的な好みとしては「どストライク」な感じ
ノスタルジーを感じさせる世界観、弟を失った家族の空虚、それぞれが歪な家族それぞれのキャラクター
それだけでも充分な上に、なんとロードムービー要素まで盛り込まれてしまって、もう完璧な好みの作品でした
こういう映画観たのが久々な気がするので、観賞後もテンション上がってしまって、翌日はその勢いのまま「バードマン」を観に行ってしまったくらい……(そしてその「バードマン」も期待を裏切らない完璧な作品だったわけですが)
と、GWは映画を観ようと決めていたわけですが、とりあえず3本までは観ました
あと1〜2本観たい
何を観よう、、とりあえず「セッション」だろうか
昨日予告編を観た「The Trip to Italy」か
うーん、映画テンションが久々に高まっている今日この頃でした
ストリートビューで母校訪問してみました #地元発見伝
「記憶に残る風景」 #地元発見伝 ということで、私も母校巡りをしてみました。
小学校
実は統廃合される予定で今年いっぱいでの廃校が決定しています。
私が通っていた頃の校舎は既に取り壊され、場所も高台の別な場所に移動しています。
下記は新しくなった現在の校舎です。
那須塩原市, 栃木県県道178号線
こちらが私が通っていた頃の小学校があった場所。
今は公園になっています。
那須塩原市, 栃木県旧陸羽街道
中学校
敷地が通りから奥まっているので、遠目からになります。
中学時代は陸上部に所属して、生徒会の活動もしていたし、輝かしい時代(遠い目)と言えるのかも知れません。
那須塩原市, 栃木県県道34号線
高校
栃木県内では伝統のある「男子校」です。
はっきり言って校内では劣等生の部類でしたが、ここでの3年間は現在の自分に直結していると思うし、貴重な体験をさせてもらったと思っています。
宇都宮市, 栃木県栃木街道
予備校
大学受験に失敗して、1年間通った予備校です。
こちらも当時の校舎は取り壊され、現在は高層ビルに生まれ変わっています。
ここは当時は美術系コースの専門校舎で、土日だけここに通って、専門の学科の授業とデッサンを繰り返していました。
月〜金は代々木の本校で、いわゆる一般的な受験勉強をしていたので、この頃は基本的に「休み無し」で頑張っていました。
渋谷区, 東京都
大学
上野公園の片隅にある、小さな大学。
(奇人変人含め)この大学に入らなければ絶対に巡り会うことはなかったでろう様々な方と出会うことができた場所です。ここでの経験は現在の仕事には直接繋がってはいませんが、おそらく私の人生には決定的な影響を与えているのだと思います。
Google マップ
正門から入って、敷地内もストリートビューできました。
こちらは私が最も多くの時間を過ごした校舎。(何度も寝泊まりした当時のセカンドハウスです。)
Google マップ
と母校の風景を振り返ることで、当時の様々な記憶がよみがえり、今の自分と照らしていろいろ考えることができました。
小学校入学から30年余りを振り返る自分史エントリでした。
地元の魅力を発見しよう!特別企画「地元発見伝」